沈み始めたぼくの腕を、しっかりとつかんだ手があった。
僕は、その存在すら知らなかった一艘の救助艇に、本当に思いがけず助け上げられたのだ。
救助艇の医師団は、僕だけが知っていたはずの僕の真実を、彼らの口から僕に告げた。
具体的に書かないとわかりにくいかも知れないが、僕の場合は、自分に対して何か打つ手があることはまったく知らなかったので、だからまったくもって奇跡的な流れがあって、その救護室へたどり着くことになったわけである。
そうして、期せずして生き残ったのだ。
医師達から自分に与えられるいくつかの方法があることを聞かされ、そんな日がくるとは思ってもいなかった僕は、その時思わず涙をこぼした。
yoy*l*sl*のブログ
男なのにとか、男子たるものという感性はないのでそういうことではなく、A医師の前とH医師の前で……、というところが、今となっては気恥ずかしく、悔やまれる。
ところでその直後のことだ。頭の中に、ニーバーの祈りの言葉が浮かんできた。
僕はその時、自分が長い間あきらめ、受け入れようとしてきたことを、変えようとしていた。
しかし自分には、変えるのではなく、受け入れる勇気が必要だったのではないのか?
今一度、祈りの言葉が読みたかった。しかし全文を思い出すことが出来ない。
僕は部屋の中を探し回り、その何年も前にもらった知人の手紙を、やっと探し出した。
書き送ってくれた人の、暖かい字が並ぶ。
yoyoluslyの日記
「神様、変えていくべきものを、変えていく力と、
変えられないものを、あきらめ、受け入れていく勇気と、
変えられるものと変えられないものを、見分ける知恵を、与えて下さい。」
読み終えた僕は、しばらく息を止めた。最後の行の脇に小さな文字で斜めに、彼女の言葉が記されていたのだ。
『この三つ目が、とても重要なのよ』。
僕の見分ける知恵は、とてもまだまだ未熟すぎる。
でもしばらく考えた僕は、今の自分に与えられている識別力で、自分のことを決めることにした。
そして、僕はこう考えている。
変えるか、受け入れるか、そのどちらを選ぼうと、
多分本当の答えは、そこには存在していないのだ。
勇気をもって変えてから、どう生きるのか?
または、冷静に受け入れてから、どう生きるのか?
defu
真の答えは、きっとその先にあるのだろう。
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翻訳されたニーバーの祈りの言葉は、以下の通りである。
「神よ、
福寿月志
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
陀螺的旋转
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。」